大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和33年(ヤ)24号 判決

岐阜県恵那郡岩村町飯羽間一三七〇番地

再審原告

伊藤繁市

中津川市竪清水町

再審被告

中津川税務署長

大蔵事務官

曽根金男

右当事間の昭和三十二年(オ)第六一六号昭和二九年度所得額無申告に対する決定処分取消請求事件について、当裁判所が昭和三十三年七月二十九日言い渡した判決に対し、再審の申立があつた。

よつて当裁裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件再審の訴を却下する。

訴訟費用は再審原告の負担とする。

理由

再審原告が、民訴四二〇条所定の再審事由を主張するものでないことは再審訴状にてらして明らかであり、本件再審の訴は不適法である。よつて民訴四二三条、九五条、八九条に従い裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)

○昭和三十三年(ヤ)第二十四号

再審原告 伊藤繁市

再審被告 中律川税務署長

再審原告の再審理由

上告棄却の判決理由をみるに二つの根本的な誤認を指摘することが出来ます。その一は本訴の争点が充分理解確認されていない点であり、その二は本件審議について、その準拠すべき所得税法の立法主旨の解釈について法理論上重大な誤認があるということであります。

この事実を端的に表明するのが、判決理由第三項中段の

本訴の争点は所得税法上の所得の帰属の問題であつて所論は違憲に名を籍りるに過ぎない

とする一節であります。

本訴はもとより所得の確認を求める訴ではなくて、政府(被再審人)のなした決定処分(以下単に原処分という)が不当であるとしてその取消を求める訴であつて本訴の争点は

原処分が合法か非合法かの争から必然的にその原因となつた農業所得の帰属について民法上並に農業経営上の所得の帰属の問題にまで及んだものである。

とすべきであります。

次に所得税法(以下単に税法という)についてみるに同法はその第一条に規定する如く、国民(再審人を含む)の納税義務を規定したものであつて、課税の範囲方法、国民と政府、(被再審人をふくむ)の権利義務の規定をなしたものであつて所得の帰属にいて規定する条文は存在しないものである。従て

つ所得税法上の所得の帰属の問題

ということは法理論上あり得ないものであります。

以上の二点が再審を求むる主体でありますが尚不服の理由を明確にするため細部について論及してみます。

一、本訴の争点について

いうまでもなく本事件の原因となつた原処分は所得税法の定むるところによつて発せられたものでなければならないのであつて、その正否の判断については、少くとも次の諸点については、別個に逐条審議されなければならない。

(一) 処分が法律の定める方法によつているか否か、(税法第四四条関係)

(二) 処分の範囲が法律の定める政府の範囲内か何うか、(税法第四五条関係)

(三) 処分の主体をなす農業所得の帰属が法律の定める方法によつて把握されているか否か、(税法第三条の二、民法第八九条、同第三二四条)

(四) 所得の計算が法律の定める方法によつてなされているか否か、(税法第十一条の二関係)

以上の四点はいずれも法律の規定によるべきものであつて、その正否の主張またはその裁判に就ては法理論がその主体をなすものであつて法理論を離れて、私見または職権をもつて判定を下すことは出来ないはずであります。この点に就て原審における判決理由及被再審人の陳述をみるに、次の様な不合理があります。

(一) についてみるに税法第四十四条によれば

「政府の調査により第二十六条第三項一号―三号、六号―八号、十一号、十二号の決定をなす」

と定められているが、この第二十六条各号とは確定申告書に記載すべき所得額及税額等をさすものでありますから本条に従へば、被再審人(政府)は予め所得の内容を調査し、再審人が計算すべき所得税法に規定する計算をして所得額を決定しなければならないのであります。則ち原告の計算によれば、所得税法上の所得額無しとなつたから確定申告書を提出しなかつたのであります。故に被再審人が計算して所得決定額拾万二百八十五円有りとなれば、その何れかの計算に誤りがあるのであつて、その何れの計算が正しいかが法廷で争われ判決せらるべきであります。よつて再審人は第三準備書面によつて、計算の基礎となつた証拠書類の提出を求め、且つその釈明を求めた。然し何等の解答も無いばかりでなく、裁判所に要請した職権による釈明権の行使も理由なしとして却下された。のみならず被再審人は所得額に就ては争はないが、再審人の妹はるゑの所得額として確定申告した所得金額が再審人の計算したものであるから再審人の所得であると主張し、この定義に従えば再審人の所得は被再審人が計算すれば被再審人の所得となるから計算しない。という意と思われるが現行税法中には調査計算しないで所得若しくは納税義務者(税法第三条の二及同第十一条の二)を決定することが出来る。という規定は無いから明らかに原処分は法律上無効である。これは原処分が法律に反しているのであつて、再審人の意志如何に拘わらず審議是正せらるべきであるので、原審判決は再審人の主張を理由なしとして棄却し原処分を正当と認めたのは税法第四四条に反することは上告理由書記載の通りであります。

(二) 前項と関連して税法第四五条に規定する政府(被再審人)の職権の範囲を検討するに、同条によれば「(3)第一項に規定する場合を除くの外政府は財産の価格若しくは債務の金額の増減、収入若しくは支出の状況又は事業の規模により所得の金額又は損失の金額を推計して前条の更正又は税額の決定をなすことが出来る」と規定されていて被再審人は「事業の内容又は帳簿の調査をなし得る権利及びこれにより所得額、税額等を計算決定することが出来る」のみであつて、所得の帰属を決定できる」という規定はない。従つて原審における被再審人の陳述にいう「たとへ妹はるゑが原告宅の農業経営について専念従事していたとするも、これは単に従事していたというにすぎず、決して当該農業経営から生ずる所得の帰属主体であつたと断ずることは出来ない」(準備書面(第三)の三)という如きは明らかに職権を逸脱したものであります。然るに原審判決理由によれば「右諸事実を綜合すれば原告は原告方の農業経営につき全般的な配慮をなしていたことを推認し得るのであり(中略)事業所得はその事業の主宰者に帰属すると解すべきであるから(中略)経営の主宰者と認められる原告に帰属するものと言わねばならない」として推認によつて事業所得の帰属を決定した事を正当と認められているが勿論前記の如く「再審人が推認によつて農業所得の帰属を決定できる」とする法令は存在しないのであるから、判決理由は明らかに税法第四五条に反する。(事業所得が事業の主宰者に帰属するという理論の不法であることは後に述べる)

(三) の農業所得の帰属については税法第三条の二に「法律上収益の帰属すると認められるものが単なる名義人であつて当該収益を享受せず他の者が享受する場合には所得税はその収益を享受するものに課する」と定められているから名義人であると否とにかかわらず法律上の実質所得者が納税義務者である。この場合の法律上というのは農業所得の帰属を定めた法律上ということで民法をさすことは当然である。即ちその第八条に「天然果実はその収受する権利を有する者に属す」同第三二四条に「農業労役の先取特権は農業労役については最後の一年間其の労役により生じたる天然果実の上に存す。」と定められているから、原審における被再審人の陳述にいう農業所得はすべて事業の主宰者に帰属する、という如き理論は民法に反するばかりでなく憲法にいう基本的人権をも無視した暴論であつて、かかる所論を正当と認むべき法令は現存しないのであるが、この点についても原判決は、一家の生計を支える重要な事業の所得はすべて生計の主宰者に帰属すると認める」として、再審人の申立を棄却しているが、もとより事業所得は生計の主宰者に帰属するという如き理由は存せず、明らかに税法第三条の二に反する判決であつて且民法、憲法を冒涜するものでもある。

(四) については今更多言を要しないと思われるが税法第十一条の二に、「納税義務者の経営する事業から他の同居親族の受ける所得は農業所得の計算上納税義務者の所得の必要な経費に算入しない」というのであつて、これは前項の法律上の所得の帰属とは別箇に所得額の計算の方法を規定したものであつて前項によつて法律上確定した個人の所得に対して同居親族の分に対しては納税義務者を一人として所得額を計算するというのであつて、この点に就ては原審における被再審人の陳述、証拠書類はもとより、原審判決理由に於ても何等言及されていないのであるが、要は税法第十一条の二によつて計算されていないところの決定処分金額はその法的根拠を有しないものであつて、これを正当とした原判決は違法であるといえる。

以上の四項はいづれも法律によつて定められているのであつて、これに対して原審判決は何等法的根拠もなく、法規を参照するのでもなくただ漫然と原処分を正当として、再審人の申立を棄却しております。従て、上告理由書冒頭に述べた原判決は無軌道であると述べ、憲法、民法の条令を掲げて、その不当を攻撃したのは正当であつて、棄却する理由は存在しないのであります。

二、法理論上の税法の立法主旨に就て

本事件係争の主体が税法の解釈に就ての法理論上の争であると思われますので、此の点に就て一言いたします。

(一) 所得税法が所得の帰属を定めたものでないから所得税法上の所得の帰属に就て争うということのないのは前述いたしました。

(二) 次は第三条の二にいう実質課税の原則ということであります。本事件をかくまで抗争させたのも、互に意見の対立したままで一致点の発見されないのも本条の解釈の相違によるものと思われます。即ち被再審人の陳述並に原審判決によれば、「所得の帰属に就て他の法律(民法等)を適用しない。と定めたものであると誤認したものと思われます。従て原審判決に就てみるも、被再審人は所得額の収支計算等をなしたものが帰一した所得者だと述べ裁判官の意見は一家の生計主宰者に事業所得は帰一すると述べて両者の意見にも重大なソゴがあるのであつて、事業の所得は生計主宰者に属するか、収支計算者に属するか、その帰一するところがないばかりでなく、そのいづれにもこれを正当化する法令が無いばかりでなく、これを正当と認むべき傍証も提出されていないのであります。

また判示(原審)によれば、妹はるゑは扶養に対する道義的見地から農業に従事したのみであると論じられていますが、扶,養に対する代償として従事したのであれば、とりも直さずその収益を享受したことになります。且つ本人の意志の如何にかかわらず民法三二四条によつて労役に対する報酬は直接本人の所得に帰属するものであります。

(三) 次に本件に直接関係のあるのは第十一条の二であります。同条の冒頭に「納税義務者の経営する事業から同居の親族が所得をうける場合」の納税義務者とは勿論第三条の二にいう実質所得者をさすものでありますが、所得をうけた同居親族はすべて多少とも実質所得者であるから本条のみから言えば一見誰を納税義務者としても差支えなし、とか、また、その中の生計主宰者であるとか、収支計算をしたものであるとか、幾多の意見の出る原因と思われます。此の点に就ては強いて云えば条文の欠陥とも言へるかも知れないが、他の法令との関連及び本条の「納税義務者の経営する事業」とは「主たる実質所得者の経営する事業」と解するべきは当然であつて、若し、被再審人の言う如く所得税法上事業の経営者と従事者とを本質的に異なるものとするならば、本条の条文は「事業の収支計算等をなす者を経営者と定め、その者を納税義務者と定め、単に労働に従事し若しくは、経営者の指示によつて事業に従事した同居親族は」などと条文を改めねばならないばかりでなく、第三条の二の実質課税の原則に反する。もとより税法では事業に従事する形式等については関与するものばかりでなく、実質所得の多寡によつて、納税義務にも軽重を生ずるので、本条でいう納税義務者とは同居親族の中の主たる所得者と解するに、何等不合理は存在しない。

(四) 法第四十四条第四十五条の政府の職権については前述した通りでありますが、要するに政府(被再審人を含む)の職権としては、事業、財産、帳簿等を調査質問する権利及びこれによつて所得額、税額等を計算すること、並にこれによつて更正または決定をすることが出来る、というのであつて、納税義務者の所得額についてのみ干渉することが出来るのであつて、その他の事項については何等職権を有しないものであつて、法令または磅証によらなければ単なる私見または推定で決定することは出来ないものであります。

三、国税庁長官通達について

判決理由第三項末尾の

本件不申告決定は右通達に反しないのみならず、通達は法令ではないから、原判決改撃の理由にならぬ。

の前半、「右通達に反しない」というのは、やはり、誤認であると思われます。ことに原処分並に原審判断を誤つたのが同通達一五九の

生計を一にする親族の中の誰の所得であるかに就ては、事業経営の方針の決定につき支配的影響力を有する者を

事業経営の方針の決定に影響力をとあるのを、一家の生計に対して影響力をとでも曲解されたものによると思われますし、右通達は法令ではないが、原処分に就ては、上級官庁よりの通達は法令につぐ拘束力を有するとみるのが社会通念でありますから、これが正否を決定する判決をも拘束するものとして、「原判決を攻撃出来ない」とする判示については疑問をもつのでありますが、もとより本件判決の正否に直接影響はありませんから、「通達は法令ではないから原処分並に原判決を防禦する理由にもならない」ことを前提として、不問にいたします。

以上るる申上げてきましたが、要するに上告棄却判決理由の中の

「本訴の争点」と「所得税法上の所得の帰属」

の二点とこれによつて必然的に

「判決は判示に法令の表示を必要としなかつた」

も共に誤りであつて、「原審判決には、これを支持すべき法令も傍証も存在しない」のであり

従て原判決は幾多の法令を冒すものであり。

再審人の上告理由は正当であつて、棄却すべき理由はない。

として再審の訴を提起するものであります。

以上

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